りっしょうあんこくろん (立正安国論) 背景と大意

■立正あんこく論 背景と大意
日蓮だいしょうにん ごしょ全集 17ページ1行目から 33ページ4行目。

立正あんこく論は、文応元年7月16日、大しょうにん39歳の御時 鎌倉にてあらわされた国家諌暁の書です。
32歳のとき、安房の国 清澄寺にて 日蓮と名乗られ、南無妙法蓮華きょうと唱えられてより7年目に当たります。
この7年間、大しょうにんは、終始鎌倉でしゃくふくの陣頭指揮をとられ、四条金吾 富木常忍 池上むねなかなど、相次いで入信を果たしました。
立正あんこく論とは、正を立てて国を安んんずる論という意味です。
論とは、高い格式を示す 特別の書 と拝することができます。

本書は、 冒頭に悲惨な当時の日本の状況が語られ、次に災難の由来、原因が語られています。そして、そのいっ凶たる浄土宗の問題が示されます。
この時代に起きた天災 飢饉 疫病が、すなわち しょうほうに背いた結果であると述べられます。
日蓮大しょうにんは各種経典を示され、邪法 邪義がこのままはびこれば まだ出現していない じかいほんぎゃく難 他国しんぴつ難が起こり くにじゅうの人々がさらなる不幸に陥ると述べられました。

この立正あんこく論は、鎌倉幕府の実質的な権力者である 北条時頼に提出されました。
諌暁とは、諌めさとすことであり、しゃくふくのことです。
立正あんこく論は、当時 最高権力者に対しての諌暁でしたが、主権在民の現代においては 民衆の一人一人を対象としていると解釈することができます。

この立正あんこく論は、北条時頼に提出されたあと、約1ヶ月 沈黙が続きましたが、突如、8月27日になって 念仏僧を交えた大集団が、大しょうにんのそうあんのある 松葉ヶやつを襲撃しました。
そうあんは焼失し、 大しょうにんは弟子たちと裏山に逃れました。
大しょうにんは下総(千葉県)の富木常忍の屋敷に身を寄せられました。
そして、翌年5月12日には 伊豆流罪となりました。
すなわち、大しょうにんの身命に及ぶ大難は、立正あんこく論の諌暁が発端です。

当時、日本は未曽有の天災が続いていました。
地震 台風 疫病 飢饉 洪水 干ばつなどが相次ぎ、多数の人が道に倒れ 牛も馬も死に 骸骨が満ちて その悲惨は目を覆うばかりのものでした。
当時の記録書 あずまかがみ などには 次のような描写があります。
口数を減らすため我が子を殺す母親、発狂する子供、路頭をさまよい 一片の食物すら口にできない人たちが 道に倒れ死んでいく様子など、当時の地獄絵の姿を こんにちに伝えています。
このような時代の中、あらゆる宗教が乱脈し 勃興しました。
その中でも、猛威を振るっていたのが念仏信仰でした。
律宗 禅宗 真言宗 さらに密教や念仏をを取り入れて堕落した天台宗、その中でも法然の浄土宗の勢力は 全国に広がっていました。
このびゃくほうおんもつによる邪宗の勢力が最も巨大化した時代に、日蓮大しょうにんは国家諌暁されたことになります。
大しょうにんは 立正あんこく論の中で、邪宗の諌暁を各所で語られています。

あくりょをいましめずんば あに 善事をなさんや。
ばんきを しゅうせんよりは このいっ凶を禁ぜんには。
凶を捨て 善に帰し 源をふさぎ 根をたつべし。
天下のせいしつをおもわば すべからく くにじゅうの ほうぼうを断つべし。

そして、大しょうにんは 立正あんこく論の最後を 次の言葉で締めくくられました。
なんじ 信仰の寸心を改めて すみやかに じつじょうのいちぜんに きせよ と。

本書は、もんじょうでは 念仏に対する破しゃくが語られていますが 現実には 大しょうにんのぶっぽう以外のいっさいの邪宗をさしています。
立正あんこく論は、まっぽう万年の邪宗 邪義を打ち破るしゃくふくの書です。

事実、日蓮大しょうにんのご一生は、国家諌暁、しゃくふくの連続であられました。
その諌暁の最たるものとして、大しょうにんは 三度の高名と述べられています。

第一は、39歳の御時に立正あんこく論を提出されたこと。
第二は、50歳の御時に へいのさえもんのじょうに対し諌暁されたこと。
第三は、佐渡流罪赦免ののち 53歳の御時の へいのさえもんのじょうへの諌暁と 質問への回答です。

第二の諌暁では、「私は日本の棟梁である。私を失えば 日本の柱を倒すことになる。必ず じかいほんぎゃく難、他国しんぴつ難が起こるであろう。これを防ぐには、各種寺院の念仏者 禅僧などを禁じることである。彼らの寺を焼き払い、彼らの首を切らなければ、日本は必ず滅びる」と述べられました。
第三の諌暁では、「念仏むけん 禅天魔」と言い切られ、「真言師に祈祷させてはならない」とも諌められました。そして、へいのさえもんのじょうの「いつ蒙古は攻めてくるのか」との問いに、「今年中に間違いなく到来する」と答えられました。
そのとおりに10月、蒙古軍が攻めてきたのです。
この立正あんこく論と大しょうにんのご発言が 正確無比に符合したことは、仏教史上最大の出来事になりました。
かつて、3000年前 インドに出現した釈尊のぶっぽうは、日蓮大しょうにんのししんぐほうの実践と振る舞いによって こ妄でないことが証明され かつ 法華経 なかんずく 南無妙法蓮華経の大しょうにんのぶっぽうが、この事実をもって 比類なき宗教として完成したことを意味するからです。

身延に入山後も、大しょうにんの諌暁の精神はいささかも衰えることはありませんでした。
61歳の御時(弘安5年)には、天皇への諌暁の書を作成され、にちもく上人に託し提出されています。
時の天皇の第九十一代後宇多天皇は感えつして 「朕 もし 法華をたもたば 富士のふもとにたづぬべし」との御下し文を返信しました。
この大しょうにんの諌暁の精神は、日興上人 にちもく上人に受け継がれました。
日興上人の諌暁の書は三通が現存しますが、最後の元徳2年の諌暁の4年後、鎌倉幕府は滅亡しました。

以来、700年後のこんにち、創価学会は、この日蓮大しょうにんの精神を受け継ぎ 実践する唯一の教団として繁茂し、今、全世界へと広がっています。

参考資料.
池田大作著 立正あんこく論講義、創価学会版 仏教哲学大辞典。

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by hiraganagosho | 2013-05-12 06:38 | 立正あんこく論