2012年 10月 07日
じょ ( 序 )
○にちれんだいしょうにん ごしょぜんしゅう じょ
しょうわ27年 4月の はじめ
いず はたげの せっせんそうにて
にちこう ろうそう しるす
しょうそ けんしゅう 700年を きねんする ほうおんぎょうとして
さくねんの 6月に そうかがっかいで ごしょぜんしゅう かんこうの びきょが けっていせられ
そのへんさんを よに ぜひとも ひきうけてくれとの ことであった
それは よが ふじもんかの ちょうろうでもあり
がっきゅうでも あるからであろうが
ともかく せいじゅは 86で ほうろうが 66であり
にゅうどういらい ししとして 1日も かんじくを はなさぬ べんきょうかである ことを
がくしゃなみに みこまれた ものと みゆる
じつは しせいあんぐで いかんする ことも できぬ
やっと ひとさまの まねぐらいでは とても この たいにんに あたるの うつわでない
よろしく ごじたい もうして たの がくしょうに ゆだねるのが けんさくであるのに
むぼうにも よろこんで これを じゅだくしたのは われながら ふかくであったが
それには たしょうの ふくりょが あった
ごかいざん にっこうじょうにんに 五 十だいぶの ごせんていがあり
また ちょうへんの おんひつしゅうが げんぞんしているが
しょえんを しゃろく されたもので しょうその ぜんぺんではない
じらい 500年 しぎょうに しょうじんするの めいし いでず
ようやく きんこになって さいそうだんりんの けしゅで
また たいせきほんざんの がくとうであった くおんいん にっとうじょうにんが
はじめて しんじょう そしょの もくろく だけを つくり
そしょ しゅういの へんしゅうも あったが ぜんぺんではない
さらに ほんけぶんしゅう 66かんを せいして もんかを ろうして
はんしたに せいしょさせたが ふこうにして はんこう できなかった のみでない
しゃでんしゃ すらなく ほんしょが てんてんとして
たいしょうの だいしんさいで よこはまで うゆうに きしたのは
ごじしゃの そろうを とがめても おいつかぬ ざんねん せんばんの ことである
にっとうしの こうはい みょうどういん にってんじょうにんは よが おんしであるが
とうしの しんてい そしょもくろくを しゅうふくして
ほんそぶんしゅう 44かん どうそくしゅう 12かんを しゅうせいし
それが のちに くるめの てんみょうじに おさめて あったが
いつしか けっぽんと なったのを ほじゅうを めいぜられて かんぽんとし
いまは わが せっせんぶんこに ある
よ あんぐで とても げんだいの じいん せいかつは おぼつかないので
たいしょう 4年から しょうにあわぬ ばんむを ほうかして ほんざんの いちぐうに へいきょし
がっきゅう せいかつに はいってから どう 8 9年のころに
とうきょうじんで みょうどうこじ たい そうたろうしの はつがんで
ときのがくとう じかんいん にっちゅうじょうにんを とおして
ごしょ へんさんの くわだてがあった
にっちゅうじょうにんは その しゅにんを じぶんに しょくせられたが
ふがくを はじて かたく じたいした
これと ほぼ どうねんに とうきょうじんの そけいこじ みたに ろくろうしが
やまうちに ざいぼうせし じふぼう にちみょうと ともに きたりて
ぜんしゅう へんさんの しゅにんを こんせいされたが
にわかに これに おうずるの ばんゆうは おこらぬ
そのかわりに しぞうの ざいりょうは
これを ていきょうするに やぶさかでないと したから
じふぼうは よるをもって ひにつぎ けんさんに つとめて よも おおいに
しりょうを かたむけたが
そけいこじは おもい あきらめず いくどか こんせいを つづけられた
じふぼうが しなのより とうきょうに てんじて しょうわ4年に
ごしょ しんしゅう はっかんの ことをきいて
ひとたびは おどろき ひとたびは よろこんだ
それは すうねんの あいだ しぎょうの しょうそくを みみに しなかったのと
この こんなんなことを なしとげた ことであった
さっそく とりよせてみると そのせいかの よきに
おおいに はんしたのに きょうがくした
おもうに よ ひきなりとも したしく さんかして いたならば
この くい なかりしかと ざんこん ここに としを ひさしうした ところに
あに はからんや そうかがっかい かいちょう とだ じょうせいしの ねっせいに あわんとは
ここに みだりに この たいにんを じゅたくしたのは まったく いじょうの えんいんが
あったからであり かつ また きょらいと いえば ろうどを
むちうって くれる ぎぎょうの がくしょうの かならず あるべきを よきし
さいわいに とうじょうして ある かいごうの おりに
さんかを こんがんしたが いずれも はんたの じょうむの ほかに
どう きねんしゅっぱんに とくむを おわせられたり とのことで
ふこうにして ひとりの どうしをも えず
やむなくば まんいち とちゅう しっぱいの ほじょたるべき じん すら
とっさに みあたらず このとき すでに ねんまつまで わずかに
6かげつで ちほうの がくしょうに こうしょう するの よじつも なく
ひゃっぽう けい つきて ひとえに ぶってんの みょうじょを あおぎ
わずかに 1 2の がくとに じょうしゃを たすけしめて
さいまつに せいこうせしは まったく みょうがに よるものと かんきゅうする
ことに がっかいの きょうがくぶに おいて たいきょ こうせいに あたり
せいむを さきて ちょうじつ ちょうとを おうふく せられたこと
および りゃくでん ねんぴょうまで さくせい されたことは
ぼうがいの ぎょうこうで あった
ただし へんさんの せいかに そろうなきや
はたして ほんぶつの めいりょに かなうべきや いなや
きょうくする ところであるが あえて ろうしんの はいきゅうに たくして
その せきにんを かいひ するものでは ない
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しょうわ27年 4月の はじめ
いず はたげの せっせんそうにて
にちこう ろうそう しるす
しょうそ けんしゅう 700年を きねんする ほうおんぎょうとして
さくねんの 6月に そうかがっかいで ごしょぜんしゅう かんこうの びきょが けっていせられ
そのへんさんを よに ぜひとも ひきうけてくれとの ことであった
それは よが ふじもんかの ちょうろうでもあり
がっきゅうでも あるからであろうが
ともかく せいじゅは 86で ほうろうが 66であり
にゅうどういらい ししとして 1日も かんじくを はなさぬ べんきょうかである ことを
がくしゃなみに みこまれた ものと みゆる
じつは しせいあんぐで いかんする ことも できぬ
やっと ひとさまの まねぐらいでは とても この たいにんに あたるの うつわでない
よろしく ごじたい もうして たの がくしょうに ゆだねるのが けんさくであるのに
むぼうにも よろこんで これを じゅだくしたのは われながら ふかくであったが
それには たしょうの ふくりょが あった
ごかいざん にっこうじょうにんに 五 十だいぶの ごせんていがあり
また ちょうへんの おんひつしゅうが げんぞんしているが
しょえんを しゃろく されたもので しょうその ぜんぺんではない
じらい 500年 しぎょうに しょうじんするの めいし いでず
ようやく きんこになって さいそうだんりんの けしゅで
また たいせきほんざんの がくとうであった くおんいん にっとうじょうにんが
はじめて しんじょう そしょの もくろく だけを つくり
そしょ しゅういの へんしゅうも あったが ぜんぺんではない
さらに ほんけぶんしゅう 66かんを せいして もんかを ろうして
はんしたに せいしょさせたが ふこうにして はんこう できなかった のみでない
しゃでんしゃ すらなく ほんしょが てんてんとして
たいしょうの だいしんさいで よこはまで うゆうに きしたのは
ごじしゃの そろうを とがめても おいつかぬ ざんねん せんばんの ことである
にっとうしの こうはい みょうどういん にってんじょうにんは よが おんしであるが
とうしの しんてい そしょもくろくを しゅうふくして
ほんそぶんしゅう 44かん どうそくしゅう 12かんを しゅうせいし
それが のちに くるめの てんみょうじに おさめて あったが
いつしか けっぽんと なったのを ほじゅうを めいぜられて かんぽんとし
いまは わが せっせんぶんこに ある
よ あんぐで とても げんだいの じいん せいかつは おぼつかないので
たいしょう 4年から しょうにあわぬ ばんむを ほうかして ほんざんの いちぐうに へいきょし
がっきゅう せいかつに はいってから どう 8 9年のころに
とうきょうじんで みょうどうこじ たい そうたろうしの はつがんで
ときのがくとう じかんいん にっちゅうじょうにんを とおして
ごしょ へんさんの くわだてがあった
にっちゅうじょうにんは その しゅにんを じぶんに しょくせられたが
ふがくを はじて かたく じたいした
これと ほぼ どうねんに とうきょうじんの そけいこじ みたに ろくろうしが
やまうちに ざいぼうせし じふぼう にちみょうと ともに きたりて
ぜんしゅう へんさんの しゅにんを こんせいされたが
にわかに これに おうずるの ばんゆうは おこらぬ
そのかわりに しぞうの ざいりょうは
これを ていきょうするに やぶさかでないと したから
じふぼうは よるをもって ひにつぎ けんさんに つとめて よも おおいに
しりょうを かたむけたが
そけいこじは おもい あきらめず いくどか こんせいを つづけられた
じふぼうが しなのより とうきょうに てんじて しょうわ4年に
ごしょ しんしゅう はっかんの ことをきいて
ひとたびは おどろき ひとたびは よろこんだ
それは すうねんの あいだ しぎょうの しょうそくを みみに しなかったのと
この こんなんなことを なしとげた ことであった
さっそく とりよせてみると そのせいかの よきに
おおいに はんしたのに きょうがくした
おもうに よ ひきなりとも したしく さんかして いたならば
この くい なかりしかと ざんこん ここに としを ひさしうした ところに
あに はからんや そうかがっかい かいちょう とだ じょうせいしの ねっせいに あわんとは
ここに みだりに この たいにんを じゅたくしたのは まったく いじょうの えんいんが
あったからであり かつ また きょらいと いえば ろうどを
むちうって くれる ぎぎょうの がくしょうの かならず あるべきを よきし
さいわいに とうじょうして ある かいごうの おりに
さんかを こんがんしたが いずれも はんたの じょうむの ほかに
どう きねんしゅっぱんに とくむを おわせられたり とのことで
ふこうにして ひとりの どうしをも えず
やむなくば まんいち とちゅう しっぱいの ほじょたるべき じん すら
とっさに みあたらず このとき すでに ねんまつまで わずかに
6かげつで ちほうの がくしょうに こうしょう するの よじつも なく
ひゃっぽう けい つきて ひとえに ぶってんの みょうじょを あおぎ
わずかに 1 2の がくとに じょうしゃを たすけしめて
さいまつに せいこうせしは まったく みょうがに よるものと かんきゅうする
ことに がっかいの きょうがくぶに おいて たいきょ こうせいに あたり
せいむを さきて ちょうじつ ちょうとを おうふく せられたこと
および りゃくでん ねんぴょうまで さくせい されたことは
ぼうがいの ぎょうこうで あった
ただし へんさんの せいかに そろうなきや
はたして ほんぶつの めいりょに かなうべきや いなや
きょうくする ところであるが あえて ろうしんの はいきゅうに たくして
その せきにんを かいひ するものでは ない
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by hiraganagosho
| 2012-10-07 23:23
| じょ (にちこう上人)