カテゴリ:一生成仏抄( 4 )

一生成仏抄 目次

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by hiraganagosho | 2012-10-28 06:33 | 一生成仏抄
■いっしょうじょうぶつしょう (背景と大意)
日蓮だいしょうにん ごしょ全集 383ページ1行目から 384ページ16行目まで。

以下の内容は 聖教新聞社 池田大作 一生成仏抄講義 (2007年1月発刊) と、創価学会 仏教哲学大辞典 (2000年11月発刊) を 参考にまとめたものです。

■背景と大意

本抄は ごしんぴつは現存せず、ごしんぴつの年次も あて先も 記されていませんが、建長7年の ご執筆で ときじょうにんに 与えられたと伝えられています。
一生成仏抄は 日蓮だいしょうにん34歳のおん作で、ごしょの中でも 早期のものです。
本抄の内容は、しょうだいぎょうが 一生成仏のじきどうであることを述べられている ごしょです。

しょうだいには 「信の題目」と 「行の題目」があります。
信の題目とは 心の次元の実践です。
信の力で ぶっしょうを覆う無明を打ち破り、仏界の生命を ゆげんさせるのです。
行の題目とは 南無妙法蓮華きょうを唱えるしょうだいであり、また 題目を他の人に広めていく けたの実践です。
心における無明との戦いの証として、口と身の次元で じぎょうけたの 実践を起こすのです。
このことは 日蓮だいしょうにんが 立宗以来、御入滅にいたるまで 一貫して強調されたことです。

一生成仏とは 文字通り 凡夫が この一生のうちに成仏することです。
これは言葉を変えれば そくしん成仏と同じです。
にぜんきょうのように 何回も生まれ変わって修行を続け、長い時間をかけた修行の末に やっと成仏できるという りゃっこうしゅぎょうではありません。
日蓮だいしょうにんのぶっぽうは、こんぜにおいて 成仏することができるぶっぽうです。

大事なことは 正しく深い信心を起こすことです。
信心を深めていこう、創価学会の中で頑張っていこうという強い一念で、こしんのほかに法ありとおもわば 全く 妙法にあらずとの 戒めを厳格にして にちやちょうぼに怠らず 、しょうだい行を実践することです。

□語句の解説

1.
ときじょうにん (富木常忍)
本名はつねのぶ
しもうさのくに (下総国) 葛飾郡 (千葉県市川市) に住し、千葉氏に仕えていた武士。
じょうにんは 日蓮だいしょうにんが 立宗宣言された翌年の入信とされています。
つねのぶ (常忍) は 入道して じょうにんとなり、のちに だいしょうにんから 日常とのほうい (法諱) をうけています。
ときじょうにんは 重書である観じんの本尊抄を 与えられました。
開もく抄を 与えられた四条金吾と このときじょうにんの2人は、日蓮だいしょうにんのげご (外護) の 双璧であったことが分かります。

2.
じぎょうけた (自行化他)
じぎょう と けた のこと。
じりりた (自利利他) ともいう。
じぎょう とは、自分自身が利益を受けるために修行することをいう。
けた とは、他人に利益を受けさせるための きょうけ (教化)、 けどう (化導) をいう。

3.
にぜんきょう (爾前経)
法華経以前に説かれたきょう (経)。

△語句の ひらがな漢字交互

ごしんぴつ (御真筆)
しょうだいぎょう (唱題行)
じきどう (直道)
ゆげん (湧現)
ぶっしょう (仏性)
にぜんきょう (爾前経)
そくしん成仏 (即身成仏)
りゃっこうしゅぎょう (歴劫修行)
こんぜ (今世)
こしん (己心)

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by hiraganagosho | 2012-10-28 06:31 | 一生成仏抄
○いっしょうじょうぶつしょう

けんちょう7年 
にちれんだいしょうにん 34さい おんさく 
あたう とき じょうにん 

それ むしのしょうじを とどめて このたび けつじょうして 
むじょうぼだいを しょうせんと おもわば 
すべからく しゅじょうほんぬの みょうりを かんずべし 
しゅじょうほんぬの みょうりとは みょうほうれんげきょう これなり 
ゆえに みょうほうれんげきょうと となえ たてまつれば 
しゅじょうほんぬの みょうりを かんずるにて あるなり 
もんりしんしょうの きょうおう なれば もんじ そく じっそうなり 
じっそう そく みょうほうなり 
ただ いわゆる いっしん ほうかいの むねを ときあらわすを みょうほうと なずく 
ゆえに このきょうを しょぶつの ちえとは いうなり 
いっしんほうかいの むねとは じゅっかい 三千の えしょうしきしん ひじょうそうもく 
こくう せつど いずれも のぞかず ちりものこさず 
いちねんの こころに おさめて この いちねんの こころ ほうかいに 
へんまんするを さして ばんぽうとは いうなり 
この りを かくちするを いっしんほうかいとも いうなるべし 
ただし みょうほうれんげきょうと となえ たもつと いうとも 
もし こしんの ほかに ほうありと おもわば まったく みょうほうに あらず そほうなり 
そほうは こんきょうにあらず こんきょうに あらざれば ほうべんなり ごんもんなり 
ほうべん ごんもんの きょうならば じょうぶつの じきどうにあらず 
じょうぶつの じきどうに あらざれば たしょう こうごうの しゅぎょうをへて 
じょうぶつ すべきに あらざる ゆえに いっしょうじょうぶつ かないがたし 
ゆえに みょうほうと となえ れんげと よまんときは わが いちねんをさして  
みょうほうれんげきょうと なずくるぞと ふかく しんじんを おこすべきなり 

すべて いちだいはちまんのせいきょう さんぜじゅっぽうの しょぶつ ぼさつも 
わがこころの ほかに ありとは ゆめゆめ おもうべからず 
しかれば ぶっきょうを ならうといえども しんしょうを かんぜざれば 
まったく しょうじを はなるること なきなり 
もし しんがいに みちをもとめて まんぎょう まんぜんを しゅうせんは 
たとえば びんぐのひと にちやに となりのたからを かぞえ たれども 
はんせんの とくぶんも なきがごとし 
しかれば てんだいの しゃくの なかには 
もし こころを かんぜ ざれば じゅうざい めっせずとて 
もし こころを かんぜざれば むりょうの くぎょうとなると はんぜり 
ゆえに かくのごときの ひとをば 
ぶっぽうを がくして げどうとなると はずかしめられたり 
ここをもって しかんには すいがくぶっきょう げんどう げけんと やくせり 

しかるあいだ ほとけのなをとなえ きょうかんをよみ はなをちらし 
こうを ひねるまでも みな わがいちねんに おさめたる 
くどく ぜんこんなりと しんじんを とるべきなり 
これによって じょうみょうきょうの なかには 
しょぶつの げだつを しゅじょうの しんぎょうに もとめば 
しゅじょう そく ぼだいなり しょうじ そく ねはんなりと あかせり 
また しゅじょうのこころ けがるれば どもけがれ 
こころ きよければ ども きよしとて 
じょうどといい えどと いうも どに 二の へだたりなし 
ただ われらが こころの ぜんあくに よると みえたり 
しゅじょうと いうも 仏と いうも また かくのごとし 
まようときは しゅじょうとなずけ さとるときをば ほとけと なずけたり 
たとえば あんきょうも みがき ぬれば たまと みゆるがごとし 
ただいまも いちねんむみょうの めいしんは みがかざる かがみなり 
これを みがかば かならず ほっしょうしんにょの めいきょうと なるべし 
ふかく しんじんを おこして にちやちょうぼに また おこたらず みがくべし 
いかようにしてか みがくべき ただ なむみょうほうれんげきょうと 
となえ たてまつるを これを みがくとは いうなり 

そもそも みょうとは なんという こころぞや 
ただ わが いちねんの こころ 
ふしぎなる ところを みょうとは いうなり 
ふしぎとは こころも およばず ごも およばずと いうことなり 
しかれば すなわち おこるところの いちねんの こころを たずねみれば 
ありと いわんとすれば いろも しちもなし 
また なしと いわんとすれば さまざまに こころ おこる 
うと おもうべきに あらず むと おもうべきにも あらず 
うむの 二のごも およばず うむの 二の こころも およばず 
うむに あらずして しかも うむに へんして 
ちゅうどう いちじつの みょうたいにして ふしぎなるを みょうとは なずくるなり 
この みょうなる こころをなずけて ほうとも いうなり 
この ほうもんの ふしぎを あらわすに たとえを じほうに かたどりて れんげと なずく 
いっしんを みょうと しりぬれば また てんじて よしんをも みょうほうと 
しるところを みょうきょうとは いうなり 
しかれば すなわち ぜんあくに ついて おこり おこるところの 
ねんしんの とうたいを さして これ みょうほうの たいと 
とき のべたる きょうおう なれば じょうぶつの じきどうとは いうなり 
このむねを ふかく しんじて みょうほうれんげきょうと となえば 
いっしょうじょうぶつ さらに うたがいあるべからず 
ゆえに きょうもんには 
わが めつどの のちにおいて まさに このきょうを じゅじすべし 
このひと ぶつどうに おいて けつじょうして うたがい あること なけん 
と のべたり 
ゆめゆめ ふしんを なすべからず あなかしこ あなかしこ 
いっしょうじょうぶつの しんじん 
なむみょうほうれんげきょう なむみょうほうれんげきょう 
にちれん かおう

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by hiraganagosho | 2012-10-23 23:18 | 一生成仏抄
◎いっしょうじょうぶつしょう  ひらがな漢字交互文
(ごしょ383ページ1行目から384ページ16行目)

いっしょうじょうぶつしょう
一生成仏抄

けんちょう7年 にちれんだいしょうにん 34さい おんさく
建長七年 日蓮大聖人 三十四歳 御作

あたう とき じょうにん
与 富木 常忍

383ページ冒頭.

それ むしのしょうじを とどめて このたび けつじょうして
夫れ 無始の生死を 留めて 此の度 決定して

むじょうぼだいを しょうせんと おもわば
無上菩提を 証せんと 思はば

すべからく しゅじょうほんぬの みょうりを かんずべし
すべからく 衆生本有の 妙理を 観ずべし

しゅじょうほんぬの みょうりとは みょうほうれんげきょう これなり
衆生本有の 妙理とは 妙法蓮華経 是なり

ゆえに みょうほうれんげきょうと となえ たてまつれば
故に 妙法蓮華経と 唱へ たてまつれば

しゅじょうほんぬの みょうりを かんずるにて あるなり
衆生本有の 妙理を 観ずるにて あるなり

もんりしんしょうの きょうおう なれば もんじ そく じっそうなり
文理真正の 経王 なれば 文字 即 実相なり

じっそう そく みょうほうなり
実相 即 妙法なり

ただ いわゆる いっしん ほうかいの むねを ときあらわすを みょうほうと なずく
唯 所詮 一心 法界の 旨を 説き顕すを 妙法と 名く

ゆえに このきょうを しょぶつの ちえとは いうなり
故に 此の経を 諸仏の 智慧とは 云うなり

いっしんほうかいの むねとは じゅっかい 三千の えしょうしきしん ひじょうそうもく
一心法界の 旨とは 十界 三千の 依正色心 非情草木

こくう せつど いずれも のぞかず ちりものこさず
虚空 刹土 いづれも 除かず ちりも残らず

いちねんの こころに おさめて この いちねんの こころ ほうかいに
一念の 心に 収めて 此の 一念の 心 法界に

へんまんするを さして ばんぽうとは いうなり
徧満するを 指して 万法とは 云うなり

この りを かくちするを いっしんほうかいとも いうなるべし
此の 理を 覚知するを 一心法界とも 云うなるべし

ただし みょうほうれんげきょうと となえ たもつと いうとも
但し 妙法蓮華経と 唱へ 持つと 云うとも

もし こしんの ほかに ほうありと おもわば まったく みょうほうに あらず そほうなり
若し 己心の 外に 法ありと 思はば 全く 妙法にあらず ソ法なり

そほうは こんきょうにあらず こんきょうに あらざれば ほうべんなり ごんもんなり
ソ法は 今経にあらず 今経に あらざれば 方便なり 権門なり

ほうべん ごんもんの きょうならば じょうぶつの じきどうにあらず
方便 権門の 教ならば 成仏の 直道にあらず

じょうぶつの じきどうに あらざれば たしょう こうごうの しゅぎょうをへて
成仏の 直道に あらざれば 多生 曠劫の 修行を経て

じょうぶつ すべきに あらざる ゆえに いっしょうじょうぶつ かないがたし
成仏 すべきに あらざる 故に 一生成仏 叶いがたし

ゆえに みょうほうと となえ れんげと よまんときは わが いちねんをさして
故に 妙法と 唱へ 蓮華と 読まん時は 我が 一念を指して 

みょうほうれんげきょうと なずくるぞと ふかく しんじんを おこすべきなり
妙法蓮華経と 名くるぞと 深く 信心を 発すべきなり

すべて いちだいはちまんのせいきょう さんぜじゅっぽうの しょぶつ ぼさつも
都て 一代八万の聖教 三世十方の 諸仏 菩薩も

わがこころの ほかに ありとは ゆめゆめ おもうべからず
我が心の 外に 有りとは ゆめゆめ 思ふべからず

しかれば ぶっきょうを ならうといえども しんしょうを かんぜざれば
然れば 仏教を 習ふといへども 心性を 観ぜざれば

まったく しょうじを はなるること なきなり
全く 生死を 離るる事 なきなり

もし しんがいに みちをもとめて まんぎょう まんぜんを しゅうせんは
若し 心外に 道を求めて 万行 万善を 修せんは

たとえば びんぐのひと にちやに となりのたからを かぞえ たれども
譬えば 貧窮の人 日夜に 隣の財を 計へ たれども

はんせんの とくぶんも なきがごとし
半銭の 得分も なきが如し

しかれば てんだいの しゃくの なかには
然れば 天台の 釈の中には

もし こころを かんぜ ざれば じゅうざい めっせずとて
若し 心を 観ぜざれば 重罪 滅せずとて

もし こころを かんぜざれば むりょうの くぎょうとなると はんぜり
若し 心を 観ぜざれば 無量の 苦行となると 判ぜり 

ゆえに かくのごときの ひとをば
故に かくの如きの 人をば

ぶっぽうを がくして げどうとなると はずかしめられたり
仏法を 学して 外道となると 恥しめられたり

ここをもって しかんには すいがくぶっきょう げんどう げけんと やくせり
爰を以て 止観には 雖学仏教 還同 外見と 釈せり

しかるあいだ ほとけのなをとなえ きょうかんをよみ はなをちらし
然る間 仏の名を唱へ 経巻をよみ 華をちらし

こうを ひねるまでも みな わがいちねんに おさめたる
香を ひねるまでも 皆 我が一念に 納めたる

くどく ぜんこんなりと しんじんを とるべきなり
功徳 善根なりと 信心を 取るべきなり

これによって じょうみょうきょうの なかには
之に依つて 浄名経の 中には

しょぶつの げだつを しゅじょうの しんぎょうに もとめば
諸仏の 解脱を 衆生の 心行に 求めば

しゅじょう そく ぼだいなり しょうじ そく ねはんなりと あかせり
衆生 即 菩提なり 生死 即 涅槃なりと 明せり

384ページ1行目.

また しゅじょうのこころ けがるれば どもけがれ
又 衆生の心 けがるれば 土もけがれ

こころ きよければ ども きよしとて
心 清ければ 土も 清しとて

じょうどといい えどと いうも どに 二の へだたりなし
浄土と云ひ 穢土と 云うも 土に 二の 隔なし

ただ われらが こころの ぜんあくに よると みえたり
只 我等が 心の 善悪に よると 見えたり

しゅじょうと いうも 仏と いうも また かくのごとし
衆生と 云うも 仏と 云うも 亦 此くの如し

まようときは しゅじょうとなずけ さとるときをば ほとけと なずけたり
迷う時は 衆生と名け 悟る時をば 仏と 名けたり

たとえば あんきょうも みがき ぬれば たまと みゆるがごとし
譬えば 闇鏡も 磨きぬれば 玉と 見ゆるが如し

ただいまも いちねんむみょうの めいしんは みがかざる かがみなり
只今も 一念無明の 迷心は 磨かざる 鏡なり

これを みがかば かならず ほっしょうしんにょの みょうきょうと なるべし
是を 磨かば 必ず 法性真如の 明鏡と 成るべし

ふかく しんじんを おこして にちやちょうぼに また おこたらず みがくべし
深く 信心を 発して 日夜朝暮に 又 懈らず 磨くべし

いかようにしてか みがくべき ただ なむみょうほうれんげきょうと
何様にしてか 磨くべき 只 南無妙法蓮華経と

となえ たてまつるを これを みがくとは いうなり
唱へ たてまつるを 是を みがくとは 云うなり

そもそも みょうとは なんという こころぞや
抑 妙とは 何と云う 心ぞや

ただ わが いちねんの こころ
只 我が 一念の 心

ふしぎなる ところを みょうとは いうなり
不思議なる 処を 妙とは 云うなり

ふしぎとは こころも およばず ごも およばずと いうことなり
不思議とは 心も 及ばず 語も 及ばずと 云う事なり

しかれば すなわち おこるところの いちねんの こころを たずねみれば
然れば すなはち 起るところの 一念の 心を 尋ね見れば

ありと いわんとすれば いろも しちもなし
有りと 云はんとすれば 色も 質もなし

また なしと いわんとすれば さまざまに こころ おこる
又 無しと 云はんとすれば 様様に 心 起る

うと おもうべきに あらず むと おもうべきにも あらず
有と 思ふべきに 非ず 無と 思ふべきにも 非ず

うむの 二のごも およばず うむの 二の こころも およばず
有無の 二の語も 及ばず 有無の 二の 心も 及ばず

うむに あらずして しかも うむに へんして
有無に 非ずして 而も 有無に徧して

ちゅうどう いちじつの みょうたいにして ふしぎなるを みょうとは なずくるなり
中道 一実の 妙体にして 不思議なるを 妙とは 名くるなり

この みょうなる こころをなずけて ほうとも いうなり
此の 妙なる 心を名けて 法とも 云うなり

この ほうもんの ふしぎを あらわすに たとえを じほうに かたどりて れんげと なずく
此の 法門の 不思議を あらはすに 譬を 事法に かたどりて 蓮華と 名く

いっしんを みょうと しりぬれば また てんじて よしんをも みょうほうと
一心を 妙と 知りぬれば 亦 転じて 余心をも 妙法と

しるところを みょうきょうとは いうなり
知る処を 妙経とは 云うなり

しかれば すなわち ぜんあくに ついて おこり おこるところの
然れば すなはち 善悪に 付いて 起り 起る処の

ねんしんの とうたいを さして これ みょうほうの たいと
念心の 当体を 指して 是れ 妙法の 体と

とき のべたる きょうおう なれば じょうぶつの じきどうとは いうなり
説き 宣べたる 経王なれば 成仏の 直道とは 云うなり

このむねを ふかく しんじて みょうほうれんげきょうと となえば
此の旨を 深く 信じて 妙法蓮華経と 唱へば

いっしょうじょうぶつ さらに うたがいあるべからず
一生成仏 更に 疑あるべからず

ゆえに きょうもんには
故に 経文には

わが めつどの のちにおいて まさに このきょうを じゅじすべし
我が 滅度の 後に於て 応に 斯の経を 受持すべし

このひと ぶつどうに おいて けつじょうして うたがい あること なけん
と のべたり
是の人 仏道に 於て 決定して 疑 有る事無けん と のべたり

ゆめゆめ ふしんを なすべからず あなかしこ あなかしこ
努努 不審を なすべからず 穴賢 穴賢

いっしょうじょうぶつの しんじん
一生成仏の 信心

なむみょうほうれんげきょう なむみょうほうれんげきょう
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経

にちれん かおう
日蓮 花押 

○一生成仏抄 ひらがな文へ

■一生成仏抄 背景と大意へ

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by hiraganagosho | 2012-10-23 23:16 | 一生成仏抄

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