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カテゴリ:ふなもり弥三郎もと御書( 4 )

 ※まだひらがな訳を含め未完成です。 

■ふなもり弥三郎もと御書 背景と大意へ

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by hiraganagosho | 2013-06-21 21:31 | ふなもり弥三郎もと御書
■ふなもり弥三郎もと御書 (背景と大意)
日蓮だいしょうにん ごしょ1445ページ1行目から1446ページ18行目まで。

以下の内容は、仏教哲学大辞典(創価学会版)と、日蓮だいしょうにん御書講義(聖教新聞社)第33巻を参考にまとめたものです。

■背景と大意

本抄は、だいしょうにん40歳の御時、伊豆国(静岡県)伊東、川奈の漁師、ふなもり弥三郎に与えられた御書である。
ふなもりとは、船頭のかしらの意味である。
この御書は、弘長元年6月12日、だいしょうにんが伊豆流罪にされたとき、30日あまり、だいしょうにんをかくまい、げご、支給したふなもり弥三郎夫婦に対してしたためられた。
だいしょうにんは、前年の7月16日、立正安国論を提出したところ、約一か月後にまつばがやつのそうあんが襲撃された。(そうあんは全焼)
このことで鎌倉を離れていたが、再び翌年の春に鎌倉に戻られたとき、幕府はだいしょうにんを召し捕り、伊豆に流罪した。
「日蓮が未だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ」(355頁)とあるように、まつばがやつのそうあんの襲撃で大聖人は殺されたと思っていたが、生きていたので伊豆流罪にしたのである。
本書は、ご供養の品々をお届けしたことに対し、返礼として書かれたものである。
文中に「さきにまいらせし ふみにつぶさにかきてそうらいし」とあるように、本書以外にもふなもり弥三郎にお手紙があったことを示唆している。加えて「かくさせたまへ」とあるように、ご供養の品々を送ったことを世間に知られないようにしてくださいとのご発言があり、当時の伊豆流罪の厳しい状況がうかがわれる。
だいしょうにんは、伊豆流罪で川奈にて疲労の極に達せられ苦しんでいたが、弥三郎夫妻は我が身の危険を顧みず、30日余りも だいしょうにんをかくまい続けた。
このことを だいしょうにんは絶賛されている。
さらにじとうの 伊東八郎ざえもんのじょう が重病に陥り、病気平癒の祈願を依頼され、これを祈念され、病気が平癒したこと、このことで じとうが釈迦の立像を大聖人にささげたことが述べられている。
加えて、弥三郎が海中より引き上げた仏像を大聖人にささげた。
この海中からの仏像(釈迦像)を大聖人は終生、所持されたと伝えられる。
大聖人滅後、この釈迦像は墓のかたわらに立て置かれたが、にちろう(日朗)がこれを持ち去り、のちに京に運ばれる途中、海路、嵐に遭って、再び海中に沈んだとされる。

□語句の解説

1.
ちまき ほしい さんせう.
食物のちまき、ほしい(蒸したコメを乾燥させたもの)、さんしょう(葉と実が食物となるみかん科の植物)のこと。
2.
津.
つとは、海岸、川の船が停泊するところをさす。
3.
ぎゅう しょう しんじ にょ くよう お ほっし(及 清 信士 女 供養 於 法師).
および しょうしんじにょ をツカワシテ法師を供養せしめと読む。
4.
じゅうらせつにょ.
10人の悪鬼の女人のこと。
法華経守護の諸天善じん。
5.
てんしょう はちまん だいしょうのしんぎ(天照 八幡 大小の 神祇).
てんしょうとは てんしょうだいじん「あまてらすおおみかみ」のこと。大和朝廷の先祖神。
はちまんだいぼさつは武士の守護神。
だいしょうのしんぎとは、天の神、地の神のさまざまな神のこと。
6.
いろくづ.
魚のうろこのこと。
7.
むし しきしん ほんぜりしょう みょうきょう みょうち こんごうふめつの ぶっしん 
(無始 色心 本是 理性 妙境 妙智 金剛不滅の 仏身).
無始からの体と心は本来理性であり、法華経を行ずることで みょうきょうと みょうちを備えた金剛不滅の成仏の境涯を得ることができるの意。
8.
ごひゃく じんてん(五百 塵点).
途方もなく長い時間の経過のたとえ。
9.
一念三千.
一念の中に三千の諸法を含有するの意味。
10.
常住し説法.
常にここに住して法を説くとよむ。
11.
しゃらのしけん(沙羅の 四見).
しゃらとは、しゃら林のことで、釈尊がねはん(死)に入った場所のこと。しけんとは、見る人たちがその境涯によって4種に見えたことを指す。
土砂草木に見えた、金銀七宝の荘厳された所と見た、三世諸仏の所行のところとみた、不可思議諸ぶつの境界と見るなど。
13.
びしゅ かつまてん(昆首羯摩天).
天神。鳩に化身して王の道心をためそうとした。
14.
はんそく王の 城へ 入りし 普明王.
はんそくおうとは、古代インドの国王の名。邪教の教えで千人の王の首を得ようとして、最後、その千人目の王がふみょうおうであった。ふみょうおうは一人の婆羅門を供養したいと1日の猶予を得て、婆羅門の供養をし、王位を太子に譲って約束通りはんそく王の元に帰った。その正直さに はんそくおうはうたれて他の999人の王をも許したという。
15.
あぬるだ.
あぬるだ尊者のこと。(阿那律尊者)
無貧ともいわれる。
法華文句第一に説かれる。乞食を行じていた仏を見た貧人が、稗の飯を供養した。その貧人に兎が飛び跳ねて背中に抱きつき、死人に変じた。貧人からその死人は離れない。やがてその死人はきんじん(金人)となり、これを聞いた悪人たちが奪おうとしたがそれはただの死人に見えた。しかし、貧人には宝であったという故事。
16.
しゃくまなん(釈摩男).
過去世の善行によって、手にするものが ことごとく宝となる神通力があった。

△語句の ひらがな漢字交互

げご (外護)
まつばがやつ (松葉ヶ谷)
そうあん (草庵)
じとう (地頭)
いとうはちろう ざえもんの しょう (伊東八郎 左衛門 尉)
じゅうらせつにょ (十羅刹女)
ねはん (涅槃)
ふかしぎしょぶつ (不可思議諸仏)
はんそく おう (班足王)

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by hiraganagosho | 2013-06-21 21:22 | ふなもり弥三郎もと御書
○ふなもりやさぶろうもとごしょ
こうちょう がんねん 6がつ 40さい おんさく 

わざと つかいを もって ちまき さけ ほしい さんしょう かみ しなじな たび そうらい おわんぬ 
また つかい もうされ そうろうは おんかくさせ たまえと もうしあげ そうらえと にちれん こころえ もうすべく そうろう 
にちれん いぬる さつき12にち るざいのとき そのつに つきて そうらいしに 
いまだ なをも ききおよび まいらせず そうろうところに ふねより あがり くるしみ そうらいき ところに 
ねんごろに あたらせ たまい そうらいし ことは いかなる しゅくじゅう なるらん 
かこに ほけきょうの ぎょうじゃにて わたらせ たまえるが いま まっぽうに ふなもりの やさぶろうと うまれかわりて にちれんを あわれみ たもうか 
たとい おとこは さもあるべきに にょうぼうの みとして しょくをあたえ 
せんぞく てうず そのほか さも こと ねんごろ なること にちれんは しらず ふしぎとも もうすばかりなし 
ことに 30にち あまり ありて ないしんに ほけきょうを しんじ にちれんを くようし たもうこと いかなることの よしなるや 
かかる じとう ばんみん にちれんを にくみ ねたむこと かまくらよりも すぎたり 
みるものは めをひき きくひとは あだむ 
ことに さつきのころなれば こめも とぼしかるらんに 
にちれんを うちうちにて はぐくみ たまいしことは にちれんが ふぼの いずの いとう かわなと いうところに うまれかわり たもうか 
ほけきょう だい4に いわく ぎゅう しょう しんじ にょ くよう お ほっし と うんぬん 
ほけきょうを ぎょうぜんものをば しょてんぜんじんとう あるいは おとことなり あるいは おんなとなり 
かたちをかえ さまざまに くようして たすくべしと いう きょうもんなり 
やさぶろうどの ふうふの しじょと うまれて にちれん ほっしを くようすること うたがいなし 
さきに まいらせし もんに つぶさに かきて そうろう しあいだ いまは くわしからず 
ことに とうじとうの びょうのうに ついて きせい もうすべきよし おうせ そうろうし あいだ あんに あつかいて そうろう 
しかれども いちぶん しんこうの こころを にちれんに いだし たまえば ほけきょうへ そしょうと こそ おもい そうらえ 
この ときは じゅうらせつにょも いかでか ちからを あわせ たまわざるべきと おもいそうらいて 
ほけきょう しゃか たほう 10ぽうのしょぶつならびに てんしょう はちまん だいしょうの しんぎ とうに もうして そうろう 
さだめて ひょうぎ ありてぞ しるしをば あらわし たまわん 
よも にちれんをば すてさせ たまわじ 
いたきと かゆきとの ごとく あてがわせ たまわんと おもい そうらいしに 
ついに びょうのう なおり かいちゅう いろくずの なかより しゅつげんの ぶったいを にちれんに たまわること 
これ びょうのうの ゆえなり さだめて じゅうらせつにょの せめなり 
この くどくも ふうふ ふたりの くどくと なるべし 
われら しゅじょう むしより このかた しょうじかいの なかに ありしが ほけきょうの ぎょうじゃと なりて 
むししきしん ほんぜりしょう みょうきょうみょうち こんごうふめつの ぶっしんと ならん こと あに かの ほとけに かわるべきや 
かこ くおん5ひゃく じんてんの そのかみ ゆいがいちにんの きょうしゅしゃくそんとは われらしゅじょうの ことなり 
ほけきょうの いちねんさんぜんの ほうもん じょうじゅうしせっぽうの ふるまいなり 
かかる とうとき ほけきょうと しゃくそんにて おわせども ぼんぷは しることなし 
じゅりょうぼんに いわく てんどうの しゅじょうをして ちかしと いえども しかも みえざらしむとは これなり 
めいごの ふどうは しゃらの しけんの ごとし 
いちねんさんぜんの ほとけと もうすは ほっかいの じょうぶつと いうことにて そうろうぞ 
せっせんどうしの まえに きたりし きじんは たいしゃくの へんさなり 
しびおうの ところへ にげ いりし はとは びしゅかつまてん ぞかし 
はんそくおうの しろへ はいりし ふみょうおうは きょうしゅ しゃうそんにて まします 
にくげんは しらず ぶつげんは これを みる 
こくうと たいかいとには ぎょちょうの ひこうする あとあり 
これらは きょうもんに みえたり 
もくぞう そく こんじきなり こんじき そく もくぞうなり 
あぬるだが こがねは うさぎとなり しにんとなる 
しゃくまなんが たなごころには いさごも こがねとなる 
これらは しぎ すべからず 
ぼんぷ そく ほとけなり ほとけ そく ぼんぷなり 
いちねんさんぜん がじつじょうぶつ これなり 
しからば ふうふ ふたりは きょうしゅ だいかくせそんの うまれかわり たまいて にちれんを たすけ たもうか 
いとうと かわなの みちの ほどは ちかく そうらえども こころは とおし 
のちの ために ふみを まいらせ そうろうぞ 
ひとに かたらずして こころえさせ たまえ 
すこしも ひと しるならば おんため あしかりぬべし 
むねの うちに おきて かたり たもうこと なかれ 
あなかしこ あなかしこ なむみょうほうれんげきょう 
こうちょう がんねん 6がつ 27にち にちれん かおう 
ふなもり やさぶろう どの もとへ これを つかわす 

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by hiraganagosho | 2013-06-16 21:16 | ふなもり弥三郎もと御書
◎ ふなもり弥三郎もと御書  ひらがな漢字交互文
(ごしょ1445ページ1行目から1446ページ18行目)

こうちょう がんねん 6がつ 40さい おんさく.
弘長 元年 六月  四十歳 御作.

わざと つかいを もって ちまき さけ ほしい さんしょう かみ しなじな たび そうらい おわんぬ.
わざと 使を 以て ちまき さけ ほしひ さんせう かみ しなじな 給 候い 畢んぬ.

また つかい もうされ そうろうは おんかくさせ たまえと もうしあげ そうらえと にちれん こころえ もうすべく そうろう.
又 つかひ 申され 候は 御かくさせ 給へと 申し上げ 候へと 日蓮 心得 申べく 候.

にちれん いぬる さつき12にち るざいのとき そのつに つきて そうらいしに. 
日蓮 去る 五月 十二日 流罪の時 その津に つきて 候しに.

いまだ なをも ききおよび まいらせず そうろうところに ふねより あがり くるしみ そうらいき ところに. 
いまだ 名をも ききをよび まいらせず 候ところに 船より あがり くるしみ 候いき ところに.

ねんごろに あたらせ たまい そうらいし ことは いかなる しゅくじゅう なるらん.
ねんごろに あたらせ 給い 候し 事は いかなる 宿習 なるらん.

かこに ほけきょうの ぎょうじゃにて わたらせ たまえるが いま まっぽうに ふなもりの やさぶろうと うまれかわりて にちれんを あわれみ たもうか.
過去に 法華経の 行者にて わたらせ 給へるが 今 末法に ふなもりの 弥三郎と 生れかわりて 日蓮を あわれみ 給うか.

たとい おとこは さもあるべきに にょうぼうの みとして しょくをあたえ. 
たとひ 男は さもあるべきに 女房の 身として 食をあたへ.

せんぞく てうず そのほか さも こと ねんごろ なること にちれんは しらず ふしぎとも もうすばかりなし.
し洗足 てうづ 其の外 さも 事 ねんごろ なる事 日蓮は しらず 不思議とも 申すばかりなし.

ことに 30にち あまり ありて ないしんに ほけきょうを しんじ にちれんを くようし たもうこと いかなることの よしなるや.
ことに 三十日 あまり ありて 内心に 法華経を 信じ 日蓮を 供養し 給う事 いかなる事の よしなるや.

かかる じとう ばんみん にちれんを にくみ ねたむこと かまくらよりも すぎたり.
かかる 地頭 万民 日蓮を にくみ ねだむ事 鎌倉よりも すぎたり.

みるものは めをひき きくひとは あだむ.
みるものは 目をひき きく人はあだむ. 

ことに さつきのころなれば こめも とぼしかるらんに.
ことに 五月の ころなれば 米も とぼしかるらんに.

にちれんを うちうちにて はぐくみ たまいしことは にちれんが ふぼの いずの いとう かわなと いうところに うまれかわり たもうか.
日蓮を 内内にて はぐくみ 給いしことは 日蓮が 父母の 伊豆の 伊東 かわなと 云うところに 生れかわり 給うか.

ほけきょう だい4に いわく ぎゅう しょう しんじ にょ くよう お ほっし と うんぬん.
法華経 第四に 云く  及 清 信士 女 供養 於 法師 と 云云.

ほけきょうを ぎょうぜんものをば しょてんぜんじんとう あるいは おとことなり あるいは おんなとなり.
法華経を 行ぜん者をば 諸天善神等 或は をとことなり 或は 女となり.

かたちをかえ さまざまに くようして たすくべしと いう きょうもんなり. 
形を かへ さまざまに 供養して たすくべしと 云う 経文なり.

やさぶろうどの ふうふの しじょと うまれて にちれん ほっしを くようすること うたがいなし.
弥三郎殿 夫婦の 士女と 生れて 日蓮 法師を 供養する事 疑なし.

さきに まいらせし もんに つぶさに かきて そうろう しあいだ いまは くわしからず.
さきに まいらせし 文に つぶさに かきて 候し 間 今は くはしからず.

ことに とうじとうの びょうのうに ついて きせい もうすべきよし おうせ そうろうし あいだ あんに あつかいて そうろう.
ことに 当地頭の 病悩に ついて 祈せい 申すべきよし 仰せ 候し 間 案に あつかひて 候.

しかれども いちぶん しんこうの こころを にちれんに いだし たまえば ほけきょうへ そしょうと こそ おもい そうらえ.
然れども 一分 信仰の 心を 日蓮に 出し 給へば 法華経へ そせうと こそ をもひ 候へ.

この ときは じゅうらせつにょも いかでか ちからを あわせ たまわざるべきと おもいそうらいて.
此の 時は 十羅刹女も いかでか 力を あわせ 給はざるべきと 思い 候いて.

ほけきょう しゃか たほう 10ぽうのしょぶつならびに てんしょう はちまん だいしょうの しんぎ とうに もうして そうろう.
法華経 釈迦 多宝 十方の 諸仏 並に 天照 八幡 大小の 神祇 等に 申して 候.

さだめて ひょうぎ ありてぞ しるしをば あらわし たまわん. 
定めて 評議 ありてぞ しるしをば あらはし 給はん. 

よも にちれんをば すてさせ たまわじ.
よも 日蓮をば 捨てさせ 給はじ.

1446ページ1行目

いたきと かゆきとの ごとく あてがわせ たまわんと おもい そうらいしに.
いたきと かゆきとの 如く あてがわせ 給はんと をもひ 候いしに.

ついに びょうのう なおり かいちゅう いろくずの なかより しゅつげんの ぶったいを にちれんに たまわること.
ついに 病悩 なをり 海中 いろくづの 中より 出現の 仏体を 日蓮に たまわる事.

これ びょうのうの ゆえなり さだめて じゅうらせつにょの せめなり.
此れ 病悩の ゆへなり さだめて 十羅刹女の せめなり.

この くどくも ふうふ ふたりの くどくと なるべし.
此の 功徳も 夫婦 二人の 功徳と なるべし.

われら しゅじょう むしより このかた しょうじかいの なかに ありしが ほけきょうの ぎょうじゃと なりて.
我等 衆生 無始より このかた 生死海の 中に ありしが 法華経の 行者と なりて.

むししきしん ほんぜりしょう みょうきょうみょうち こんごうふめつの ぶっしんと ならん こと あに かの ほとけに かわるべきや.
無始色心 本是理性 妙境妙智 金剛不滅の 仏身と ならん 事 あに かの 仏に かわるべきや.

かこ くおん5ひゃく じんてんの そのかみ ゆいがいちにんの きょうしゅしゃくそんとは われらしゅじょうの ことなり.
過去 久遠 五百 塵点の そのかみ 唯我一人の 教主釈尊とは 我等 衆生の 事なり.

ほけきょうの いちねんさんぜんの ほうもん じょうじゅうしせっぽうの ふるまいなり.
法華経の 一念三千の 法門 常住此説法の ふるまいなり.

かかる とうとき ほけきょうと しゃくそんにて おわせども ぼんぷは しることなし.
かかる たうとき 法華経と 釈尊にて をはせども 凡夫は しる事なし.

じゅりょうぼんに いわく てんどうの しゅじょうをして ちかしと いえども しかも みえざらしむとは これなり.
寿量品に 云く 顛倒の 衆生をして 近しと 雖も 而も 見えざらしむとは これなり.

めいごの ふどうは しゃらの しけんの ごとし. 
迷悟の 不同は 沙羅の 四見の 如し.

いちねんさんぜんの ほとけと もうすは ほっかいの じょうぶつと いうことにて そうろうぞ.
一念三千の 仏と 申すは 法界の 成仏と 云う事にて 候ぞ.

せっせんどうしの まえに きたりし きじんは たいしゃくの へんさなり.
雪山童子の まへに きたりし 鬼神は 帝釈の 変作なり.

しびおうの ところへ にげ いりし はとは びしゅかつまてん ぞかし.
尸毘王の 所へ にげ 入りし 鳩は 昆首羯摩天 ぞかし.

はんそくおうの しろへ はいりし ふみょうおうは きょうしゅ しゃうそんにて まします.
班足王の 城へ 入りし 普明王は 教主 釈尊にて まします.

にくげんは しらず ぶつげんは これを みる.
肉眼は しらず 仏眼は 此れを みる.

こくうと たいかいとには ぎょちょうの ひこうする あとあり.
虚空と 大海とには 魚鳥の 飛行する あとあり.

これらは きょうもんに みえたり.
此等は 経文に みえたり.

もくぞう そく こんじきなり こんじき そく もくぞうなり.
木像 即 金色なり 金色 即 木像なり.

あぬるだが こがねは うさぎとなり しにんとなる.
あぬるだが 金は うさぎとなり 死人となる.

しゃくまなんが たなごころには いさごも こがねとなる.
釈摩男が たなごころには いさごも 金となる.

これらは しぎ すべからず.
此等は 思議 すべからず.

ぼんぷ そく ほとけなり ほとけ そく ぼんぷなり.
凡夫 即 仏なり 仏 即 凡夫なり.

いちねんさんぜん がじつじょうぶつ これなり.
一念三千 我実成仏 これなり.

しからば ふうふ ふたりは きょうしゅ だいかくせそんの うまれかわり たまいて にちれんを たすけ たもうか.
しからば 夫婦 二人は 教主 大覚世尊の 生れかわり 給いて 日蓮を たすけ 給うか.

いとうと かわなの みちの ほどは ちかく そうらえども こころは とおし.
伊東と かわなの みちの ほどは ちかく 候へども 心は とをし. 

のちの ために ふみを まいらせ そうろうぞ.
後の ために ふみを まいらせ 候ぞ.

ひとに かたらずして こころえさせ たまえ.
人に かたらずして 心得させ 給へ.

すこしも ひと しるならば おんため あしかりぬべし.
すこしも 人 しるならば 御ため あしかりぬべし.

むねの うちに おきて かたり たもうこと なかれ.
むねの うちに をきて かたり 給う事 なかれ.

あなかしこ あなかしこ なむみょうほうれんげきょう.
あなかしこ あなかしこ 南無妙法蓮華経.

こうちょう がんねん 6がつ 27にち にちれん かおう.
弘長 元年 六月 二十七日 日蓮 花押.

ふなもり やさぶろう どの もとへ これを つかわす.
船守 弥三郎 殿 許へ 之を 遣わす.

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by hiraganagosho | 2013-06-16 20:30 | ふなもり弥三郎もと御書

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