きょうきじこくしょう (教機時国抄) ひらがな漢字交互文1

◎きょうきじこくしょう ひらがな漢字交互文1
(ごしょ438ページ1行目から442ページ3行目まで)

こうちょう 2ねん 2がつ とうか 41さい おんさく.
弘長 二年 二月 十日  四十一歳 御作.

ほんちょう しゃもん にちれん これを きす.
本朝 沙門 日蓮 之を 註す.

1に きょうとは しゃかにょらい しょせつの いっさいの きょう りつ ろん 5048かん 480ちつ.
一に 教とは 釈迦如来 所説の 一切の 経 律 論 五千四十八巻 四百八十帙.

てんじくに るふすること いっせんねん ほとけの めつご いっせん 115ねんに あたって しんたんこくに ぶっきょう わたる.
天竺に 流布すること 一千年 仏の 滅後 一千一十五年に 当つて 震旦国に 仏経 渡る.

ごかんの こうめいてい えいへい 10ねん ひのとう より.
後漢の 孝明皇帝 永平 十年 丁卯 より.

とうの げんそうこうてい かいげん 18ねん かのえうまに いたる 664さいのあいだに いっさいきょう わたり おわんぬ.  
唐の 玄宗皇帝 開元 十八年 庚午に 至る 六百六十四歳の 間に 一切経 渡り 畢んぬ.

この いっさいの きょう りつ ろんの なかに しょうじょう だいじょう ごんきょう じっきょう けんきょう みっきょうあり これらを わきまうべし.
此の 一切の 経 律 論の 中に 小乗 大乗 権経 実経 顕経 密経あり 此等を 弁うべし.

この みょうもくは ろんし にんしよりも いでず ぶっせつより おこる.
此の 名目は 論師 人師よりも 出でず 仏説より 起る.

じゅっぽう せかいの いっさいしゅじょう ひとりも なく これを もちうべし. 
十方 世界の 一切衆生 一人も 無く 之を 用うべし.

これを もちいざる ものは げどうと しるべきなり. 
之を 用いざる 者は 外道と 知るべきなり.

あごんきょうを しょうじょうと とく ことは ほうどう はんにゃ ほっけ ねはん とうの しょだいじょうきょうより いでたり. 
阿含経を 小乗と 説く 事は 方等 般若 法華 涅槃 等の 諸大乗経より 出でたり.

ほけきょうには いっこうに しょうじょうを ときて ほけきょうを とかざれば ほとけ けんどんに おつすべしと ときたもう. 
法華経には 一向に 小乗を 説きて 法華経を 説かざれば 仏 慳貪に 堕すべしと 説きたもう.

ねはんぎょうには いっこうに しょうじょうきょうを もちいて ほとけを むじょうなりと いわんひとは した こうちゅうに ただるべしと うんぬん.
涅槃経には 一向に 小乗経を 用いて 仏を 無常なりと 云わん 人は  舌 口中に 爛るべしと 云云.

2に きとは ぶっきょうを ひろむる ひとは かならず きこんを しるべし. 
二に 機とは 仏教を 弘むる 人は 必ず 機根を 知るべし.

しゃりほつそんじゃは こんしに ふじょうかんを おしえ かんえの ものには すそくかんを おしうる あいだ 90にちを へて.
舎利弗尊者は 金師に 不浄観を 教え 浣衣の 者には 数息観を 教うる 間 九十日を 経て.
 
しょけの でし ぶっぽうを 1ぶんも おぼえらずして かえって じゃけんを おこし いっせんだいと なり おわんぬ.
所化の弟子 仏法を 一分も 覚らずして 還つて 邪見を 起し 一闡提と 成り 畢んぬ.

ほとけは こんしに すそくかんを おしえ かんえの ものに ふじょうかんを おしえたもう ゆえに しゅゆの あいだに おぼえる ことを えたり.
仏は 金師に 数息観を 教え 浣衣の 者に 不浄観を 教えたもう 故に 須臾の 間に 覚る ことを 得たり.

ちえ だい1の しゃりほつすら なお きを しらず.
智慧 第一の 舎利弗すら 尚 機を 知らず.

いかに いわんや まつだいの ぼんし きを しりがたし.
何に 況や 末代の 凡師 機を 知り 難し.

ただし きを しらざる ぼんしは しょけの でしに いっこうに ほけきょうを おしうべし.
但し 機を 知らざる 凡師は 所化の 弟子に 一向に 法華経を 教うべし.

とうて いわく むちの ひとの なかにして この きょうを とくこと なかれとの もんは いかん.
問うて 云く 無智の 人の 中にして 此の 経を 説くこと 莫れとの 文は 如何.

こたえて いわく きを しるは ちじんの せっぽうする ことなり. 
答えて 云く 機を 知るは 智人の 説法する 事なり.

また ほうぼうの ものに むかっては いっこうに ほけきょうを とくべし どっくの えんと なさんが ためなり.
又 謗法の 者に 向つては 一向に 法華経を 説くべし 毒鼓の 縁と 成さんが 為なり.

れいせば ふきょうぼさつの ごとし. 
例せば 不軽菩薩の 如し.

また ちしゃと なるべき きと しらば かならず まず しょうじょうを おしえ つぎに ごんだいじょうを おしえ あとに じつだいじょうを おしう べし.
亦 智者と 成る 可き 機と 知らば 必ず 先ず 小乗を 教え 次に 権大乗を 教え 後に 実大乗を 教う 可し.

ぐしゃと しらば まず かならず じつだいじょうを おしう べし.
愚者と 知らば 必ず 先ず 実大乗を 教う 可し. 

しんぼう ともに げしゅと なれば なり.
信謗 共に 下種と 為れば なり.

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3に ときとは ぶっきょうを ひろめん ひとは かならず ときを しるべし.
三に 時とは 仏教を弘めん 人は 必ず 時を 知るべし.
 
たとえば のうにんの しゅうとう たを つくるに たねと ちと ひとの こうろうとは たがわざれども 1ぶんも えき なく かえって そんす.
譬えば 農人の 秋冬 田を 作るに 種と 地と 人の 功労とは 違わざれども 一分も 益 無く 還つて 損す.

1だんを つくる ものは しょうぞん なり 1ちょう 2ちょう とうの ものは だいそんなり.
一段を 作る 者は 少損 なり 一町 二町 等の 者は 大損なり.

しゅんか こうさく すれば じょう ちゅう げに したがって みな ぶんぶんに やく あるが ごとし. 
春夏 耕作 すれば 上 中 下に 随つて 皆 分分に 益 有るが 如し.

ぶっぽうも またまた かくの ごとし ときを しらずして ほうを ひろめば やく なきうえ かえって あくどうに だする なり. 
仏法も 亦復 是くの 如し 時を 知らずして 法を 弘めば 益 無き 上 還つて 悪道に 堕する なり.

ほとけ しゅっせい したもうて かならず ほけきょうを とかんと ほっするに.
仏 出世 したもうて 必ず 法華経を 説かんと 欲するに.

たとい き あれども とき なきが ゆえに 40よねんには この きょうを ときた まわず. 
縦い 機 有れども 時 無きが 故に 四十余年には 此の 経を 説き たまわず.

ゆえに きょうに いわく せつじ いまだ いたらざるが ゆえなり とうと うんぬん. 
故に 経に 云く 説時 未だ 至らざるが 故なり 等と 云云.

ほとけの めつごの つぎの ひより しょうほう いっせんねんは じかいの ものは おおく はかいの ものは すくなし.
仏の 滅後の 次の 日より 正法 一千年は 持戒の 者は 多く 破戒の 者は 少し.

しょうほう いっせんねんの つぎの ひより ぞうほう いっせんねんは はかいの ものは おおく むかいの ものは すくなし. 
正法 一千年の 次の 日より 像法 一千年は 破戒の 者は 多く 無戒の 者は 少し.

ぞうほう いっせんねんの つぎの ひより まっぽう 1まんねんは はかいの ものは すくなく むかいの ものは おおし. 
像法 一千年の 次の 日より 末法 一万年は 破戒の 者は 少く 無戒の 者は 多し.

しょうほうには はかい むかいを すてて じかいの ものを くよう すべし. 
正法には 破戒 無戒を 捨てて 持戒の 者を 供養 すべし.

ぞうほうには むかいを すてて はかいの ものを くよう すべし.
像法には 無戒を 捨てて 破戒の 者を 供養 すべし.

まっぽうには むかいの ものを くようすること ほとけの ごとく すべし.
末法には 無戒の 者を 供養すること 仏の 如くすべし.

ただし ほけきょうを ぼうぜん ものをば しょう ぞう まつの 3じに わたりて.
但し 法華経を 謗ぜん 者をば 正 像 末の 三時に 亘りて. 

じかいの ものをも むかいの ものをも はかいの ものをも ともに くよう すべからず.
持戒の 者をも 無戒の 者をも 戒の 者をも 共に 供養 すべからず. 

くようせば かならず くにに 3さい ひちなん おこり くようせし ものも かならず むげんだいじょうに だすべきなり. 
供養せば 必ず 国に 三災 七難 起り 供養せし 者も 必ず 無間大城に 堕すべきなり.

ほけきょうの ぎょうじゃの ごんきょうを ぼうずるは しゅくん おや しの しょじゅう しそく でしらを ばっするが ごとし.
法華経の 行者の 権経を 謗ずるは 主君 親 師の 所従 子息 弟子等を 罰するが 如し.

ごんきょうの ぎょうじゃの ほけきょうを ぼうずるは しょじゅう しそく でしらの しゅくん おや しを ばっするが ごとし. 
権経の 行者の 法華経を 謗ずるは 所従 子息 弟子等の 主君 親 師を 罰するが 如し.

また とうせは まっぽうに いって 2ひゃく いちじゅう よねん なり. 
又 当世は 末法に 入つて 二百 一十 余年 なり.

ごんきょう ねんぶつとうの ときか ほけきょうの ときか よく よく じこくを かんがう べきなり.
権経 念仏等の 時か 法華経の 時か 能く 能く 時刻を 勘う べきなり.

4に くにとは ぶっきょうは かならず くにに よって これを ひろむべし.
四に 国とは 仏教は 必ず 国に 依つて 之を 弘むべし. 

くにには かんこく ねつこく ひんこく ふこく ちゅうこく へんこく たいこく しょうこく いっこうちゅうとうこく いっこうせっしょうこく いっこうふこうこく とう これ あり.
国には 寒国 熱国 貧国 富国 中国 辺国 大国 小国 一向偸盗国 一向殺生国 一向不孝国 等 之 有り.

また いっこう しょうじょうの くに いっこう だいじょうの くに だい しょう けんがくの くにも これ あり. 
又 一向 小乗の 国 一向大乗の 国 大 小 兼学の 国も 之 有り.

しかるに にほんこくは いっこうに しょうじょうの くにか いっこうに だいじょうの くにか だい しょう けんがくの くに なるか よく よく これを かんばう べし.
而るに 日本国は 一向に 小乗の国か 一向に 大乗の 国か 大 小 兼学の 国 なるか 能く 能く 之を 勘う べし.

5に きょうほうるふの せんごとは いまだ ぶっぽう わたらざる くに には いまだ ぶっぽうを きかざる ものあり. 
五に 教法流布の 先後とは 未だ 仏法 渡らざる 国 には 未だ 仏法を 聴かざる 者あり.

すでに ぶっぽう わたれる くに には ぶっぽうを しんずる ものあり.
既に 仏法 渡れる 国 には 仏法を 信ずる 者あり.

かならず さきに ひろまれる ほうを しって のちの ほうを ひろむべし.
必ず 先に 弘まれる 法を 知つて 後の 法を 弘むべし.

さきに しょうじょう ごんだいじょう ひろまらば のちに かならず じつだいじょうを ひろむべし.
先に 小乗 権大乗 弘らば 後に 必ず 実大乗を 弘むべし.

さきに じつだいじょう ひろまらば のちに しょうじょう ごんだいじょうを ひろむ べからず. 
先に 実大乗 弘らば 後に 小乗 権大乗を 弘む べからず.

がりゃくを すてて こんじゅを とるべし こんじゅを すてて がりゃくを とること なかれ.
瓦礫を 捨てて 金珠を 取るべし 金珠を 捨てて 瓦礫を 取ること 勿れ.

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by hiraganagosho | 2013-07-19 20:38 | きょうきじこく抄

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