2012年 09月 23日
発刊の辞
○にちれんだいしょうにん ごしょぜんしゅう 発刊の辞
しょうわ 27年 4月 28日
そうかがっかい かいちょう とだ じょうせい
しゅうそ にちれんだいしょうにん しょほうじっそうしょうに のたまわく
ぎょうがくの にどうを はげみそうろうべし
ぎょうがく たえなば ぶっぽうは あるべからず
われも いたし ひとをも きょうけそうらえ
ぎょうがくは しんじんより おこるべくそうろう
ちからあらば いちもんいっく なりとも かたらせたもうべし と
そうかがっかいは しょだいかいちょう まきぐち つねさぶろう せんせい
これを そうせつして いらい この きんげんを じゅんぽうして
じゅんしん ごうじょうな しんじんに もとずき ぎょうがくの にどうを はげむと ともに
にょせつの しゃくふくぎょうに まいしんして きたが
けんごうの しゅぎょうを おもわせるが ごとき その げんかくなる たんれんは
がっかいの でんとう めいよある とくちょうと なっている
したがって だいしょうにんの ごしょを うやまい これに したしむこと
てんにちを はいするが ごとく また かいいんいちどう
じょうげ しんきゅうの さべつなく これが けんきゅうに ただいなる じかんを
あてているのである
しかるに だいしょうにん ゆいいつの せいとうであり だいけんいである
にちれんしょうしゅうの はっかんになる ごしょぜんしゅうが
かいむに ちかい げんじょうであり
やむをえず こうかんるふ されている ごしょ によって いたが
そうでんなき るる がくしゃなどの へんさんした しょは
かんじんの ほんぞんしょうを はじめ
そのた しゅじゅの じゅうようなる おんしょうに おいて
ぎしょを しんしょとなし しんしょを ぎしょと わいきょくするなど
どくしゃを まよわすこと はなはだしく
とうてい これを しんらいする ことが できないうえ
もっとも じゅうようなる けつみゃくしょう ほんいんみょうしょうなど
にちれんしょうしゅう もんがいふしゅつの おんしょうは
すでに じょうしを みた いかなる ごしょぜんしゅうにも けいさいされず
しゅうその ごしんいを はいせんと ひたすら ねんがんするものを して
ひさしく いかんの ねんを いだかしめて いたのである
しかるに しゅうそ にちれんだいしょうにん けんちょう 5年 4月 28日
さんだいひほうの なむみょうほうれんげきょうを おとなえ はじめられてから
700年を むかえるに あたり しんぴょうすべき ごしょの はっかんを
ようぼうする こえが がっかいないに おこり よも また
せいかくなる ごしょぜんしゅうの しゅつげんは ごほうこうの いちぶんなりと しんじ
ぜひ こうざい および よひとの ひはんなどに しゅんじゅんすることなく
ただ ぶついを たより だいごほんぞんに いのりたてまつり ついに
けいしゅくきねん じぎょうとして これを はっかんせんと はつがん したのである
これに こたえられて えいねん こぶんしょ けんきゅうに ぼっとうせられて
しがくに ぞうけいふかき にちれんしょうしゅう 59せいの ほっすたりし
ほり にちこう しょうにんげいかが 60ゆうよねんの うんちくを かたむけて
これが へんさんの だいじぎょうに たたれたのは だいしょうにん もんかにとって
このうえなき しあわせな ことである
ほり にちこう じょうにんげいかは 86さいの ごこうれいにて
にちや ふだんの おんくしんにも かかわらず
しんしんともに なんらの ましょうなく すう10年に わたる
おんけんきゅうを けっしゅう せられて
ここに ほんしょの かんせいを みたのである
その ないようたるや ここんを つうじて もっとも ほこりうべき ものであると ともに
しょしんの ものも ぶついを えとくするに よういならしむる よう
じくの うえにも さいしんの ちゅういが はらわれている
また がっかいいんどうしは こころよく しゅっぱんひを きょしゅつして
よに この だいじぎょうの かんすいを うながし きょうがくぶいんは また
これが こうせいに ちゅうやを わかたず さいぜんの どりょくを
おしまなかったのである
しかるに よの ふびんは いくたの かごを おかして
ほり にちこう じょうにんげいかが しょうがいを つうじての
だいけんきゅうに きず つくることなきやと ひたすら これを おそれ
こんごの ほせいに さいぜんの どりょくを つくさんことを
ちかうもので あると ともに
この きちょうなる だいきょうてんが ぜんとうようへ ぜんせかいへと
るふして いくことを ひたすら ねんがんして やまぬものである
ねがわくは よのしきしゃ しょけい よの びいを りょうとせられて
ごひせい あられんことを
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しょうわ 27年 4月 28日
そうかがっかい かいちょう とだ じょうせい
しゅうそ にちれんだいしょうにん しょほうじっそうしょうに のたまわく
ぎょうがくの にどうを はげみそうろうべし
ぎょうがく たえなば ぶっぽうは あるべからず
われも いたし ひとをも きょうけそうらえ
ぎょうがくは しんじんより おこるべくそうろう
ちからあらば いちもんいっく なりとも かたらせたもうべし と
そうかがっかいは しょだいかいちょう まきぐち つねさぶろう せんせい
これを そうせつして いらい この きんげんを じゅんぽうして
じゅんしん ごうじょうな しんじんに もとずき ぎょうがくの にどうを はげむと ともに
にょせつの しゃくふくぎょうに まいしんして きたが
けんごうの しゅぎょうを おもわせるが ごとき その げんかくなる たんれんは
がっかいの でんとう めいよある とくちょうと なっている
したがって だいしょうにんの ごしょを うやまい これに したしむこと
てんにちを はいするが ごとく また かいいんいちどう
じょうげ しんきゅうの さべつなく これが けんきゅうに ただいなる じかんを
あてているのである
しかるに だいしょうにん ゆいいつの せいとうであり だいけんいである
にちれんしょうしゅうの はっかんになる ごしょぜんしゅうが
かいむに ちかい げんじょうであり
やむをえず こうかんるふ されている ごしょ によって いたが
そうでんなき るる がくしゃなどの へんさんした しょは
かんじんの ほんぞんしょうを はじめ
そのた しゅじゅの じゅうようなる おんしょうに おいて
ぎしょを しんしょとなし しんしょを ぎしょと わいきょくするなど
どくしゃを まよわすこと はなはだしく
とうてい これを しんらいする ことが できないうえ
もっとも じゅうようなる けつみゃくしょう ほんいんみょうしょうなど
にちれんしょうしゅう もんがいふしゅつの おんしょうは
すでに じょうしを みた いかなる ごしょぜんしゅうにも けいさいされず
しゅうその ごしんいを はいせんと ひたすら ねんがんするものを して
ひさしく いかんの ねんを いだかしめて いたのである
しかるに しゅうそ にちれんだいしょうにん けんちょう 5年 4月 28日
さんだいひほうの なむみょうほうれんげきょうを おとなえ はじめられてから
700年を むかえるに あたり しんぴょうすべき ごしょの はっかんを
ようぼうする こえが がっかいないに おこり よも また
せいかくなる ごしょぜんしゅうの しゅつげんは ごほうこうの いちぶんなりと しんじ
ぜひ こうざい および よひとの ひはんなどに しゅんじゅんすることなく
ただ ぶついを たより だいごほんぞんに いのりたてまつり ついに
けいしゅくきねん じぎょうとして これを はっかんせんと はつがん したのである
これに こたえられて えいねん こぶんしょ けんきゅうに ぼっとうせられて
しがくに ぞうけいふかき にちれんしょうしゅう 59せいの ほっすたりし
ほり にちこう しょうにんげいかが 60ゆうよねんの うんちくを かたむけて
これが へんさんの だいじぎょうに たたれたのは だいしょうにん もんかにとって
このうえなき しあわせな ことである
ほり にちこう じょうにんげいかは 86さいの ごこうれいにて
にちや ふだんの おんくしんにも かかわらず
しんしんともに なんらの ましょうなく すう10年に わたる
おんけんきゅうを けっしゅう せられて
ここに ほんしょの かんせいを みたのである
その ないようたるや ここんを つうじて もっとも ほこりうべき ものであると ともに
しょしんの ものも ぶついを えとくするに よういならしむる よう
じくの うえにも さいしんの ちゅういが はらわれている
また がっかいいんどうしは こころよく しゅっぱんひを きょしゅつして
よに この だいじぎょうの かんすいを うながし きょうがくぶいんは また
これが こうせいに ちゅうやを わかたず さいぜんの どりょくを
おしまなかったのである
しかるに よの ふびんは いくたの かごを おかして
ほり にちこう じょうにんげいかが しょうがいを つうじての
だいけんきゅうに きず つくることなきやと ひたすら これを おそれ
こんごの ほせいに さいぜんの どりょくを つくさんことを
ちかうもので あると ともに
この きちょうなる だいきょうてんが ぜんとうようへ ぜんせかいへと
るふして いくことを ひたすら ねんがんして やまぬものである
ねがわくは よのしきしゃ しょけい よの びいを りょうとせられて
ごひせい あられんことを
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by hiraganagosho
| 2012-09-23 18:57
| 発刊の辞(戸田じょうせい)